院長紹介

院長 片平潤一(かたひら じゅんいち)

 生まれは山形県の南の方、宮内という所です。昔は織物業が盛んな自給自足圏で大層賑やかだったそうですが、今はメインストリートの端から端まで人っ子一人歩いていません。小学校のとき東京に出てきて高校までいました。高校では山岳部で毎日トレーニングと山登りに明け暮れていました。

 三年生の時人助けの使命感に燃えまして最初は農業の革新思ったのですが、金も土地もないことに気付いて医者に方向転換しました。山のある所の医学部を探して第1志望が北海道大学、第2志望が信州大学でした。たまたま北大に合格しましたので北海道で多感な時を過ごしました。最終学年の時に回ったポリクリという病棟での患者さんについての実習のときに、周りの先生たちがあまりに情けないのに憤慨を感じまして(今夜のススキノの店はどこにするとか)、東京に戻ることにしました。その頃は卒業すると内科なら消化器とか心臓とか一つに決めなくてはいけなかったのですが、いろいろ勉強させてもらえた東京女子医大に入りました。朝から晩まで夜もしょっちゅう呼び出しというハードな何年間かを過ごして修練を積みました。

 専門は血液学を学び、白血病などの患者さんの診察から、血液幹細胞の研究(今のIP細胞の走りみたいなもの)と学生の講義までやりましたが、教授と対立しまして青梅市立総合病院に飛ばされました。その時は島流しのように感じましたが、それが御縁となって今があるのですから有り難いものです。総合病院では血液の患者さんを中心に診ましたが、どんどん増えてきて結構大変でした。

 いったん東京女子医大に戻って今度は感染症、感染免疫というものを専門にしましたが、ある時一念発起、開業する事にしました。もうずいぶん時間が経っていましたので、総合病院の時に診た患者さんにまたお会いした方はごくわずかです。しかし、血液を離れできるだけ何でも診察するようにして、患者さんの便を図るようにしています。義父が小児科と皮膚科を診療していましたので、開業前にはそこで一通り勉強しました。そのほかの科も、ピアスの穴あけなどはお断りしていますが、できるだけ最低限は診させて頂いて、その後は他の開業医の先生や総合病院にご紹介するようにしています。患者さんにとってはすべての情報が1人の先生に集約されているのが理想です。

 また医院は患者さんにストレスがないように、リラックスできるように普通の家に来た感じにしています。身体の事で疑問に思った事は何でも聞いてください。風通しのよい医療を心掛けています。